- 簡易宿泊所
- 優し顔立ち
- 自堕落な生活

簡易宿泊所
「Autumn leaveさん入院中の○○さんから、電話です。」
「はい。」「もしもし・・・・・」怪我で入院中の○○さんから退院が決まった連絡で、退院後について相談したいとの事でした。翌日に病院へ行く約束をし、○○さんの勤務先A建設にも同行するよう連絡をしたのですが、何故○○さんは、勤務先ではなく私に連絡をしてきたのか不思議に思っていました。翌日約束の時間に病院に行くと、既にA建設の社長さんと○○さんが話をしていたので、近づいて行きますと、何か揉めているようでした。
「こんにちは、遅くなりました。」と声をかけると、二人は話をやめて、私に挨拶を・・・・
「どうしました?何か揉めているみたいでしたが?」とどちらともなく聞きますと、社長さんが、
「○○が退院後、簡易宿泊所に戻ると言うのですよ。病院も宿泊所の近くに転医したいと!。」
○○さんは、A建設とは2週間の契約で勤めていた所謂、日雇い仕事の方でした。契約中は、A建設の独身寮に住み、現場へ通っていたのですが、本来の住まいは簡易宿泊所で、毎日いくらかの支払いをし住むという生活でした。○○さん曰く、簡易宿泊所から通院をしたいとお願いしたのですが、A建設では、自社の独身寮から通院するように言っていたところだったようです。またまた面倒な話に首を突っ込んでしまったと感じました。
「○○さん、簡易宿泊所から通いたいのですか?A建設の独身寮ではダメですか?」
「独身寮だと、みんなが仕事しているのに自分だけ何もしないでいるのは、気が引けるし、何かを言われたら嫌だから、簡易宿泊所に戻りたい。」と言うのです。まぁ確かにみんなが仕事していて、自分だけ何もせず部屋で寝転がっているのは、気まずいのも理解できるのですが、A建設の社長さんの気持ちもよく分かるのですよ、怪我をしている間は、会社に責任がありますので、何かあったときに連絡も取れなくなってしまったら面倒ですから、監視と言いますか管理できる状態にしたいのだろうなぁと思いました。
「A建設の作業員たちは、怪我で休んでいる人に嫌味など言いませんよ。それでも、独身寮が嫌なら、約束をしてくれませんか、必ず簡易宿泊所と連絡が取れることと、○○さん自信がA建設に週に1度必ず近況報告をする。この二つが出来るのであれば、社長さんに私からお願いしますよ。」彼は、宿泊施設に戻ることでA建設ともめると思い私に、連絡してきたのですね。
私の心配は、転移しても必ず通院することが出来るのかです、A建設の社長さんに毎週の連絡がある際に、通院しているかを確認するようお願いし、A建設から私に近況を報告するよう指示しました。当時は携帯電話もスマホもない時代でしたから、連絡方法が限られており宿泊所を勝手に替えられたらどこにいるのかが分からなくなり連絡が途絶えてしまうそんな時代でしたのでA建設としては、自社の独身寮に居てもらいたかったと思います。彼は私からの提案を受け入れ退院後、簡易宿泊所に移って行きました。その後数週間は、連絡が入り通院もしているのを確認できたのですが、○○さんから連絡が途絶えてしまったのです。A建設に宿泊施設へ連絡を取らせて知ったのですが、何と○○さん酒に酔って仲間たちと喧嘩をして怪我を、しかも労災の休業補償給付金も盗られてしまった(相当酔っていたらしいので、お金を盗られたのか、落としてしまったのかが分からない状態でした)。との事でした。私は、急いで○○さんに会いに行きました。

優し顔立ち
「○○さん、大丈夫ですか?」顔は傷だらけで腫れあがり、酷い顔をしていました。
「○○さん、この環境は良くないよ、故郷には、だれか親戚でもいないの?」
彼は、山形県の出身で、実家に長兄が住んでいるとの事です。私は、お兄さんにお願いして実家に戻れないかと彼に聞いたのですが、何も言いません。私から、「お兄さんに連絡しようか?」と聞きますと、彼は、「宜しくお願いします。」と言うので、直ぐに実家へ連絡を取り、怪我で通院中だが一人では、大変なので実家に戻れないかと相談しましたら、お兄さんは快く引き受けて頂き、翌日迎えに来るとまで言ってくれ、私は、ホッと胸を撫で下ろしました。翌日、お兄さんと二人で、山形へ帰りました。彼には、山形の病院が決まったら、労災の転医届が必要なので連絡をするよう伝えました。山形に戻った彼は、毎月近況を私に連絡をくれ、半年後には、治療が終わる連絡があり、私に山形へ来て担当医と、労災終了につい話をして欲しいと言ってきました。
山形新幹線から在来線に乗り換え東京から4時間以上かけ彼の住む村へ、駅には彼とお兄さんが迎えに来てくれました。私は、彼の顔を見て吃驚してしまったのです、何とも穏やかな優しい顔を見た時、彼の本来の顔はこの顔なのだと。お兄さんの運転で病院へ向かいました。病院は、とても立派な総合病院でした。笑顔で出迎えてくれた担当医師は、とても若く私(当時35歳)と同世代ではなかったかと、医師は、現在の怪我の状況説明と今後について話をしました。医師の考えとしては、あと一ヶ月治療を続け、後遺症障害が多少残るので、障害補償給付の手続きを願われました。私は、直ぐに了承しましたら、医師と○○さんは、とてもホッとしていました。私が、ダメとでも言うと思ったのですかね?確かに怪我をしてから、1年以上たっていましたから、私は、医師に「私は医師ではありませんので、先生が、何時まで治療続ける、或いは終了する。と言われればそれに従いますよ。」と話しました。医師との話を終えまた、お兄さんに駅まで送って頂き東京へ。帰り際に、彼は「今度こそこちらで仕事を探し、まともな生活をしますよ」と言われ、「そうですね、この何とも穏やかな○○さんの顔が本来の顔ですよ、こちらで仕事を探し、真っ当な生活を送って下さい。」と彼の手を握り山形を後にしました。

自堕落な生活
1か月後のある日、労基署から連絡が「○○さんの事で、連絡しました。Autumn leaveさんこういことされますと、労基署としては、心証が非常に悪くなります。」「あの~何があったのでしょうか?」「○○さんが、障害補償給付金を早く出せと電話してきたのです、こういうことをされますと御社に対しても、厳しい措置を取りますよ!!」「ちょっと待ってください。○○は、山形から連絡してきたのですか?」「いいえ、東京からですよ、連絡先は×××―××××―××××です。」と怒って連絡をしてきたので、私は、この番号に連絡を早急に取りましたらやはり、簡易宿泊所でした。○○さんを呼びだしてもらったのですが、今は出かけてるので、夕方に連絡をするよう言われ、カリカリしながら夕方に再度連絡をしますと。酔った彼が、電話口に「何をやってるのですか?あなた、山形で再就職するって言っていたのに、どうしたんですか?」彼は「Autumn leaveさんか、山形では再就職出来ないので、東京に出てきた。」と言うので、「あなた、労基署に何をしたのですか、労基署滅茶苦茶怒ってますよ!」、「あ~もういいです大丈夫です、すいません。」と言って電話を切ってしまった。その後彼との連絡はできなくなってしまいました。何度か宿泊所に連絡を取っていたのですが、電話に出てくれずいつの間にか何処かへ行ってしまったようで、彼との音信は、プツンと切れてしまいました。生活する環境や、労災により休業したため彼もまた仕事を探すことなく、労災の給付金が底をつくまで酒を飲み、周りの者といざこざを起こす、自堕落な生活に身を置きその日その日の生活を・・・・。あの穏やかで優しい顔立ちの彼は、いなくなってしまったのですね。何処へ行ってしまったのか?30数年前バブルが弾け不景気になり、就職も厳しい、何の資格もない大人しい彼が、日雇いの仕事で怪我をし、休業補償給付金で毎日酒で憂さを晴らす、自堕落な生活から一度は、正気に戻り真っ当に就職しようとしたものの、不景気で地方では仕事がなく、東京へ出てきてまた自堕落な生活へ!誰が悪いのか、あの時私が、簡易宿泊所はダメだと言えばよかったのか?しかし押し付けは、できません。私が優しくしすぎたのか?労災で人は変わってしまうのか?虚しく哀しい、苦い思い出です。

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2022年4月7日 ブログ管理人:Autumn leaves (紅葉)
『怪我と弁当手前持ち』って知っていますか?
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